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東京高等裁判所 平成2年(ラ)800号 決定

抗告人 中川悟

事件本人 中川文子

主文

本件抗告を棄却する。

理由

一  抗告人は、主たる申立てとして「1 原審判を取り消す。2 事件本人中川文子を禁治産者とする。3 武蔵野市○○町×の×の×安井良夫を事件本人の後見人に選任する。」との裁判を、予備的申立てとして「1 原審判を取り消す。2 事件本人中川文子を準禁治産者とする。3 武蔵野市○○町×の×の×安井良夫を事件本人の保佐人に選任する。」との裁判を求め、その理由として別紙「即時抗告申立書」のとおり主張する。

二  抗告人が抗告理由として主張するところを要約すれば、次のとおりである。

1  抗告人は、昭和50年6月、横浜家庭裁判所小田原支部に対し、妹である事件本人につき禁治産宣告の申立てをし(以下「前件申立事件」という。)、同裁判所は精神科医秋元正一に鑑定を命じ、その結果に従い、昭和51年1月24日、禁治産宣告をした。

2  昭和56年7月、中川悦子は、辺見和夫医師の鑑定書を添付して禁治産宣告の取消しを求める申立てをした。同裁判所は、同医師に対して事件本人の精神鑑定を命じ、抗告人がその排除並びに忌避の申立てをしたにもかかわらず、これを却下した上、昭和58年9月9日、同医師の鑑定結果をもとに同宣告を取り消す旨の審判をした。

3  右審判は、既に中川悦子から私費をもって依頼され、鑑定を行っていた辺見医師を裁判所の鑑定人として、同一事項につき重ねて鑑定をさせ、その結果に基づいて行われたもので、右鑑定は手続的にも実体的にも違法不当である。抗告人は右審判に不服であったが、抗告権を有しないため、やむを得ず審判から約2か月後に本件禁治産宣告の申立てを行った。

4  ところが、原審判は、抗告人が再度第三の鑑定人による鑑定に基づく審判を求めたにもかかわらず、辺見医師による違法不当な右鑑定結果をそのまま援用して、抗告人の申立てを却下したものであり、承服しがたい。原審判は、その理由として、事件本人が辺見医師以外の鑑定には応じないとしているというが、実際には事件本人の周囲の者が反対しているのであり、事件本人の意思によるものではない。このような不合理な理由により、抗告人の鑑定申請を却下したのは違法である。

また、前記秋元鑑定によれば、事件本人の総合知能はI・Q50、知能年齢8歳であり、中度精薄(痴愚)に位置するところ、事件本人の年齢、環境を考慮すると向後顕著な軽快を望むことはできず、8歳程度の知能のまま、その生涯を送るものと判断され、心神喪失の常況にあると結論されている。原審の審問における応答ぶりからみても、現在、将来とも事件本人が財産を管理し、社会生活を営んでゆくことは不可能であることが明らかであり、禁治産制度の趣旨である本人保護のためにも、事件本人がその財産を失わないようにするためにも、禁治産宣告が必要である。

5  仮に、第三の鑑定の実施が不可能であり、したがって禁治産宣告は不相当であるとしても、原審判は前記の両鑑定結果に基づき、「事件本人は、その疾患の本質からして、加齢現象を除いて時間の経過とともにその能力が変化することは通常あり得ず」と認定しているのであるから、前記の両鑑定結果に基づき準禁治産宣告をすることは不可能でなかったはずであるのに、これをしなかったのは不当である。

三  当裁判所の判断

1  原審における鑑定の不実施について

本件記録によれば、次の事実が認められる。

(一)  事件本人は、大正10年10月20日生まれであって、3歳のころ歩行の開始や発語が遅れているのに気付いた両親が医師に相談したところ、リットル病(脳性麻痺の一種)と診断され、以来両親の庇護のもと、専ら家庭内で生活してきた。外資系の石油販売会社に勤務していた父秀造は、昭和15年に○○市に居を構え、以後事件本人は同市内で両親とともに暮らした。昭和50年5月に父が死亡し、同54年12月に母が死亡したが、その後は実妹である中川恭子(昭和3年10月7日生)及び同悦子(昭和5年6月14日生)とともに肩書住所地で生活している。事件本人は歩行が若干不自由であるため、学校への通学はせず、代わりに両親が読み書きを教えたので、新聞雑誌、本なども読めるようになり、計算もでき、テレビも楽しめるようになった。自分の身の回りのことはすべて自分ですることができ、簡単な台所仕事や整理整頓もできて、家庭内では普通人と同様に暮らしている。性質は温和で、それなりに明るく素直で、興奮したり乱暴したりすることはない。しかし、父親を始め家族全員が事件本人をあまりに保護的に扱ってきたため、事件本人は他人に接した経験に乏しく、社会的訓練は皆無といってよいほどであり、人前に出てものを言うことが非常に苦手で、緊張のためほとんど発語できないことが多い。

(二)  その後、昭和56年の前記禁治産宣告取消の申立てに伴い、事件本人は、鑑定人辺見医師から二度にわたり検査を受け、その際にも極度の緊張状態を経験した。事件本人は、禁治産宣告取消しの意味を理解して喜んだが、抗告人による本件禁治産宣告申立てに接して非常に困惑した。原審では、抗告人側から第三の鑑定人として東西医大精神神経科の上島明助教授が推薦されたが、同助教授によれば、鑑定を行うためには事件本人を2週間前後の間同医大付属病院に入院させる必要があるということであった。ところが事件本人は、本件の原審裁判所係属中、入院して検査を受けることを拒否し続けたので、結局鑑定を実施することができなかった。

以上によると、事件本人が現在、自らの意思に基づいて精神鑑定を受けることを拒否していることが明らかであり、それは、事件本人の心身の障害の状況、これまでの生活歴、年齢を考慮すると、まことにやむを得ないところというべきであって、同人の自由な意思を無視して鑑定のための受検を強制することは、かえって心身障害者の利益を保護する法の趣旨に反するものといわねばならない。

そうすると、原審が抗告人が求めた第三の鑑定の実施は不可能であると判断した点については、なんら違法はない。

2  禁治産宣告申立ての却下について

鑑定人秋元正一及び同辺見和夫作成の各鑑定書(同辺見和夫については2通)によれば、両鑑定人の鑑定結果は、事件本人の知能年齢が8歳程度であること、その原病(脳性小児麻痺)の性質からして、加齢現象を除き、8歳程度の知能のままその生涯を送るものと見込まれることについては、ほぼ一致している。前記の禁治産宣告取消事件においては、これらの鑑定結果以外の資料をも検討した上、「事件本人は、脳性小児麻痺を有する心身障害者であり、中等度すなわち軽愚の下位にある精神発達遅滞者であって、自他の財産の判別は可能であるが、単独で自分の財産を管理する能力は不十分であるものの、日常生活において他人の介護を必要とするほど重篤な障害ではない」ということを理由として、前件申立てにかかる禁治産宣告を取り消す審判がされた。

原審においては、以上の諸資料を検討し、事件本人及びこれと同居して身辺の介助をしている中川悦子を審問し、かつ、本件の係属中を通じ事件本人の精神神経的状況にさしたる変化が見られないことを確認した上で、事件本人は、現在においても、心神耗弱の状態にある蓋然性は高いが心神喪失の常況にはなく、したがって禁治産宣告をなすべき場合に当たらないと判断したのであって、その過程にはなんら違法はない。

3  準禁治産宣告の必要性について

いうまでもなく、心神耗弱者についての準禁治産宣告制度の趣旨、目的は、自分の財産上の法律行為の結果を弁識し判断する能力が通常人に比較して劣る者につき、申立てにより準禁治産宣告を行い、一定の重要な財産上の行為につき保佐人の同意を要するものとしてその限度で本人の行為能力を制限し、それによって本人の所有する財産の散逸を防ぎ、本人を保護しようとするものであって、社会的弱者としての心神耗弱者の利益保護の観点からは必要有益であるものの、反面、経済社会の側からみれば、取引の安全がその限度で犠牲に供されるのであり、また、制度の運営上、心神耗弱者の保護に藉口して私利を図ろうとする者に乗じられ、ひいては制度の濫用に至る危険もないとはいえない。したがって、準禁治産宣告の申立てを受けた家庭裁判所としては、単に本人の意思能力の程度について判断するのみでなく、事案の内容に応じて本人の所有する財産の種類・内容、経済活動従事の有無、家計の収支の状況、財産処分の可能性、さらには本人の生活環境と周囲の人間関係等についても検討し、準禁治産宣告をすることが本人保護のため真に必要かつ相当であるかどうかについて慎重に考慮することが要請されるのであり、このように検討考慮した結果、準禁治産宣告をすることが当該本人の利益の保護の観点から必ずしも必要かつ相当でなく、かえって本人の利益を損なう虞れがあると判断されるときは、その裁量により準禁治産宣告をしないことができるものと解すべきである。

そこで、以下本件につき検討する。

(一)  心神耗弱者について準禁治産を宣告するに当たっても、本人の心神の状況について鑑定を行うべき(家事審判規則30条、24条)ところ、事件本人が自己の意思に基づき鑑定を拒否していること、同人に対し鑑定を受けるよう強制すべきでないこと、事件本人の場合、8歳程度の知能年齢のまま生涯を送るであろうと見込まれることは、前記のとおりである。

(二)  その他、本件記録によれば次の事実が認められる。

事件本人は、前示のとおり大正10年生まれの高齢者であって、現在妹の中川恭子(昭和3年生、未婚)及び同悦子(同5年生、未婚)と3人で平穏な共同生活を送っている。その居住建物は、事件本人が昭和50年5月15日、亡父秀造から相続により取得したものであり、その敷地である○○市○○町××番×、同番×、同町××番の宅地三筆(地積計約1974平方メートル)は、事件本人が昭和26年亡父から贈与されたものである。姉妹3人はまた、現住所付近及び○△市内に亡父の相続により取得した不動産を所有しており、これらの財産から得られる賃料収入で生活費をまかなっているが、働いて収入を得ることはしていない。

他方、抗告人は姉妹らの実兄に当たり、○○市内に居住して会社を経営しているが、父死亡後の昭和52年1月、事件本人につき前件申立事件の申立てをし、また、亡父が事件本人の生活保障の趣旨で贈与した右3筆の土地の所有権を主張して訴訟を提起した(第1審・横浜地方裁判所小田原支部昭和52年(ワ)第×××号、控訴審・東京高等裁判所昭和57年(ネ)第×××号、上告審・最高裁判所昭和59年(オ)第××××号)が、昭和60年3月に至り、抗告人敗訴の第1審判決が確定した。このような経緯もあって、抗告人と姉妹らとの仲は悪く、抗告人は昭和53年ころ以降、事件本人と会っておらず、また、中川悦子、同恭子が事件本人の財産を処分、費消してしまうのではないかと危惧している。なお、抗告人が後見人又は保佐人として推薦する安井良夫は、事件本人ら兄妹の母方のいとこに当たり、中川悦子が事件本人の後見人であったときの後見監督人であったが、当時中川悦子との関係は疎遠であったようであり、また事件本人が同人に信頼感を抱いていることを認めうる資料はない。

中川悦子は、前件申立事件での禁治産宣告に件い事件本人の後見人に選任され、同宣告の取消しの前後を通じて、事件本人の身辺の介助に当たるとともに事件本人の所有財産を管理してきた者であるが、現在に至るまでの間、違法な管理処分行為があったことは認められず、家庭裁判所に対する報告も行っているので、誠意をもって事件本人の財産管理を行っているものと認めることができる。中川悦子らも、抗告人が事件本人の所有権を争って前記訴訟を提起したこと、禁治産宣告が取り消されてから2か月も経たないうちに本件申立てをしたこと等から、抗告人に対して強い不信感を抱いており、抗告人が事件本人の財産を意のままにしようと企図しているのではないかと疑っている。しかし、事件本人及びその妹らがいずれも高齢であり、不動産収入によって生活をまかなっていて、事業経営その他大金を動かすような経済活動をしていないことをも考慮すると、少なくとも現時点においては、中川悦子が事件本人の所有財産を違法に管理処分する虞れが差し迫って現存するとは認められない。

(三)  以上の事実を総合すると、事件本人が心神耗弱であることは推認できるのであるが、同人は現在妹2人と同居し、日常生活には特に不自由はなく、必要な場合は妹らの介助を受けていて、心身障害者なりに、また高齢者なりに、心理的にも経済的にも平穏で安定した生活を営んでおり、このままの状態で残された老後を送ることがもっとも事件本人の福祉に適うものと認められる。そして、少なくとも現時点においては、事件本人及び中川悦子、同恭子がその所有財産を処分する可能性は少なく、管理については、妹悦子が、善良な管理者としての注意をもって事件本人のために処理するものと期待することができる。他方、抗告人の本件申立てが純粋に事件本人の利益を考えてされたものであるかどうかについては、疑問がないわけではない。

このように考えると、当面は事件本人がその所有財産を失って窮迫状態に追い込まれる虞れは乏しく、事件本人が中川悦子らに保護されて幸せな余生を送ることができるよう周囲の者が見守ってゆくのが最も望ましいとの結論に達するのであり、今直ちに準禁治産宣告をし、保佐人として事件本人になじみの少ない人物を選任しなければならない必要性、相当性があるというには躊躇せざるを得ない。のみならず、あえて準禁治産宣告を行うとすれば、抗告人と中川悦子らとの間の対立はいっそう激しくなり、その結果事件本人から現在の平穏かつ安定した生活環境と人間関係を奪うことになる可能性が高いのであって、これでは決して事件本人の保護を厚くすることにならないのである。

そうすると、本件においては、準禁治産宣告をすることは必ずしも必要かつ相当でないばかりか、かえって事件本人の福祉を損なう虞れがあるというべく、原審が準禁治産宣告をしなかったことには、なんら違法はない。

四  以上のとおりであって、原審判は相当であり、本件抗告はすべて理由がないから、これを棄却することとし、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 伊東すみ子 裁判官 大藤敏 水谷正俊)

即時抗告申立書〈省略〉

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